令和7年12月号(Vol.247)<br>県内の小児救急医療体制について(前編)
先月まで暑さで悩まされていたのが、もう冬到来となっています。流行語にも「二季」がランクインするなど、四季を感じられなくなってきていますね。
今シーズンのインフルエンザ流行が例年より早まっています。予防として今からでも遅くありませんので、ワクチン接種しインフルエンザから身を守っていただきたいと思います。先月、小1男子がインフルエンザにかかり、マンションから転落した報道がありました。インフルエンザにかかると飛び降りなどの異常行動をおこすことがあり、特に発熱から2日間が要注意と言われています。1人にさせない・窓の鍵をかける・ベランダに面していない部屋で寝かせる・可能であれば1階で寝かせるなどの対策をしてください。また小学校6年生までは病児保育の利用も可能です。ご検討ください。
先月、大学の硬式テニス部OB会がありました。昼間は現役部員と一緒にテニスを楽しみ、夜は飲み会で旧交を温めることができました。OB会での最高年齢は84歳、今も現役で診療をしている橋本敬太郎先生(山梨大学名誉教授、薬理学者)は気さくで、温和な紳士で私が尊敬している大先輩です。私も橋本先生のように長生きしながら診療を続けられれば本望です。読者の皆様は子育てでお忙しいと思いますが、家庭や仕事以外の場で、自分自身を見直す時間も大切にしてください。
今月は小児救急医療体制について、今までの経緯をお伝えしたいと思います。小児初期救急医療センターが始まって20年が経ちました。20年前は全国的に小児救急医療体制が脆弱な体制しかとれておらず、たらい回しなど社会問題化されている時代でありました。2003年に県で小児救急医療体制検討委員会が立ち上がり、2005年から甲府市内、2008年から富士吉田市内に「小児初期救急医療センター」が開設され、夜間・休日の時間外に小児科医が診察するようになりました。2005年以前は時間外受診では他科の先生が子どもを診察し、必要があれば小児科医が対応する体制でした。過去を知ることで今後の体制を考える礎になってもらえたら幸いです。
私が開業した理由
私は小児科医になり5年目から千葉市のみつわ台総合病院で3年間勤務医として働きました。千葉市の小児救急医療体制は全国的にも先進的な体制で海浜病院の隣に初期救急センターがあり、市内の小児科医らが時間外に勤務を交代で対応していました。私は千葉市での勤務を終えた後、山梨市にある加納岩総合病院に勤めました。ここでは千葉市の救急体制と違って、県内の2次医療圏ごとの救急体制がありました。当直医が子どもを診察し気になる場合、病院小児科医を呼び出す体制でした。常勤小児科医が2人のため、私は夜間2日に1回オンコールがありました。年に半分は自宅にいても、当直医・入院中の子どもたちが何か異変があると病棟から呼び出される体制で、呼ばれない日はない状態が続いていました。自分自身が千葉市のような体制が取れないかと試行錯誤していた頃、全国的に先進的な小児救急体制がある熊本市・宇都宮市へ見学に行き、様々な事例を勉強してきました。さらに小児科医の夫婦で24時間診療している「スマイルこどもクリニック」の存在を知り、見学に行った時に「まず、山梨でやってみよう!」と決意し、半年後、2004年4月から平日19時から23時までと休日昼間、私と有志の数名の小児科医と共に、げんきキッズクリニックで診療を始めました。その当時は小児初期救急医療センターがない時代だったため、開業日初日から多くの患者さんが受診し、多くの方からとても感謝されたことを思い出します。県内の新聞・テレビで大々的に報じていただきました。
そして、私の開業1年後、2005年3月に甲府市内に「小児初期救急医療センター」が開設されました。私のクリニックは5年間、時間外診療を続けていきましたが、6年目以降に診療時間を今と同じ昼間の時間に変更し、センターの診療に協力しています。
小児初期救急医療センターの20年間
小児初期救急医療センターは県内の小児科専門医である開業医・勤務医・大学病院医師らが交代で診療を担っています。この体制は開業医のみでは続けることは不可能で、勤務医・大学病院医師の協力がなくては継続できません。また、初期(1次)のみでなく、2次病院は勤務医、3次病院は大学病院が担当しており、県内の小児科医が連携して成り立っています。
昨年までは子どもの頭部外傷の対応が明確化できていない部分がありましたが、小児科医と脳神経外科医との話し合いを経て、今年から子どもの頭部外傷について救急体制が確立されました。今後よりスムーズに受診ができると思われます。













