• げんき夢こども園:055-268-5577
  • げんきキッズクリニック:055-268-5599ご予約はこちら
image

げんき夢保育園、げんきキッズクリニックでは被災地へいろいろな物資の支援を行っています。
以下は2012年1月12日現在での経過です。

2011年

4月  4日 浪江町(福島県)へ…ランドセル201個
5月3・4日 山田町(岩手県)へ…ボール、折り紙、鯉のぼりなど
相川小(宮城県)へ…児童書100冊、ボール20個
5月27日 道の駅やまだ(岩手県)へ…横断幕
山田町織笠保育園(岩手県)へ…エプロン、職員の手作りポーチ・袋など
6月 9日 山田町デイサービスセンターへ…炊飯器
6月16日 山田町観光協会へ…少年野球用練習着、アンダーシャツなど、ラグビー用ジャージ、パンツ、ソックス、スパイクなど
6月20日 遠野町(岩手県)へ…図鑑、絵本など28冊
6月20日 山田町避難宅へ…ジャージ子ども用上下12着、ティッシュセット、おすなばセット、水筒、うちわ
6月20日 山田町避難宅へ…男性用衣類(Gパン、Tシャツ、ワイシャツ)、靴
6月21日 山田町避難所へ…はぎれ、生地、毛糸
6月27日 山田町避難所へ…保冷剤
6月27日 山田町避難宅へ…女性用衣類上下28着、エプロン、帽子、タオルなど
6月28日 南会津町(福島県)避難宅へ…ジャージ上下6着
7月 4日 山田町避難宅へ…電動ドライバー2個
7月 4日 山田町立荒川小学校へ…扇風機5台
7月 4日 チャリティーTシャツ購入(全職員分)
7月12日 東松島市(宮城県)避難宅へ…男児用衣類13枚、女児用衣類9枚
7月12日 南三陸町(宮城県)避難宅へ…男性用衣類6枚、女性用衣類6枚
7月20日 南三陸町(宮城県)避難宅へ…男性用衣類16枚、女性用衣類30枚
7月20日 釜石市(岩手県)避難宅へ…子ども用衣類10枚
7月20日 山田町(岩手県)避難宅へ…保冷剤
7月28日 気仙沼市(宮城県)避難宅へ…保冷剤
7月28日 大船渡市(岩手県)避難宅へ…保冷剤
8月 3日 気仙沼市避難宅へ…保冷剤
8月 3日 大船渡市避難宅へ…保冷剤
8月 8日 山田町避難宅へ…衣類5枚
8月 8日 山田町避難宅へ…おんぶひも
8月 8日 仙台市避難宅へ…男子用ワイシャツ2枚、女子用Tシャツ2枚
8月 9日 大船渡市避難宅へ…保冷剤、うちわ
8月 9日 気仙沼市避難宅へ…絵本50冊、粘土、紙粘土、おすなばセット、ティッシュケースなど
8月23日 大船渡市避難宅へ…保冷剤
8月31日 石巻市避難宅へ…女児用衣類上下10枚、女性用衣類3枚
8月31日 筑後市(福岡県)避難宅…男児用衣類上下15枚
9月 1日 気仙沼市避難宅へ…ベビーベッド
9月23日 いわき市(福島県)避難宅へ…女性用衣類上下
9月23日 東松島市避難宅へ…おんぶひも、女児用衣類3枚
9月23日 亘理町(宮城県)避難宅へ…女性用衣類、男児用衣類上下
9月30日 山田町避難宅…電気毛布
9月30日 大槌町(岩手県)避難宅へ…女性用衣類上着5枚、男性用衣類上着3枚、男性用トレーナー上下1組、男性用作業着上下1組
9月30日 いわき市(福島県)避難宅へ…女性用衣類5枚
9月30日 宮古市(岩手県)避難宅へ…女性用衣類7枚、男性用衣類6枚
9月30日 石巻市避難宅へ…衣類
10月 4日 石巻市避難宅へ…男性用衣類5枚
10月 4日 一関市避難宅へ…女性用衣類4枚
10月 4日 岩沼市(宮城県)避難宅へ…女性用衣類上下5枚
10月 4日 気仙沼市避難宅へ…女性用衣類7枚
10月 4日 石巻市避難宅へ…男性用衣類上下9枚、女性用衣類上下24枚
10月 4日 石巻市避難宅へ…ベビーベッド
10月 8日 山田町避難宅へ…男児用衣類上下14枚
10月 8日 釜石市避難宅へ…男児衣類上下10枚
10月12日 大船渡市避難宅へ…保冷剤
10月14日 二本松市(福島県)避難宅…女性用衣類上下35枚
10月14日 東松島市避難宅へ…女性用衣類上着1枚
10月15日 チャリティトレーナー購入
10月27日 南三陸町避難宅へ…子ども用傘3本
11月15日 大船渡市避難宅へ…保冷剤
11月16日 山田町避難宅へ…男性用衣類上下7枚、女性用衣類上下12枚、ニット帽2枚、タオル5枚
11月16日 ふんばろう東日本支援プロジェクト
ハンドメイドプロジェクトへ…A職員より布地多数
11月23日 陸前高田市避難宅へ…男性用靴下12足
11月23日 いわき市避難宅へ…女性用靴下12足
12月 1日 山田町避難宅へ…女性用衣類上下11枚、女性用下着3枚、女性用靴下3足
12月 1日 二本松市避難宅へ…女性用衣類上下15枚、女児用衣類上下4枚、男児用衣類上下22枚、帽子、レインブーツ、ビーチサンダルなど
12月 3日 気仙沼市個人病院へ…医師用白衣1枚、看護師用白衣15枚
12月12日 山田町避難宅へ…女性用衣類上下15枚、下着、靴下、レッグウォーマー、帽子など
12月12日 気仙沼市個人病院へ…プリンタ複合機
12月19日 大船渡市避難宅へ…保冷剤
12月19日 釜石市避難宅へ…女性用衣類、靴下、帽子、エプロン、タオル
12月19日 山田町避難宅へ…男性用衣類9枚、女性用衣類1枚、帽子、保冷剤
12月30日 山田町織笠保育園へ…マフラー18枚、お米券80枚、そば15人分
12月31日 気仙沼個人病院へ…白衣、輸液ポンプ、レントゲン防護服、ピークフロー、点滴棒2台、そば15人分

2012年

1月12日 石巻市避難宅へ…絵本、カレンダー、タオル

また、支援先からご丁寧なお礼の電話や手紙をたくさんいただいておりますので、手紙の一部をご紹介します。
大変なときにもかかわらずありがとうございました。

image

image

image

 昨年は大変お世話になりました。イオンの近くに移動をして早3年を迎えようやく少し慣れてきた気がしています。
 昨年は3・11後、計画停電、節電対策に追われながら、4月中旬、NPO法人「ジャパンハート」の関係で、宮城県石巻市で医療ボランティアに参加してきました。その後も被災地へ物資の援助を継続しております。
 診療においては、不活化ポリオワクチンを個人輸入し接種をしております。幸いにも大きなトラブルなく、月に100名近い新規の希望者がいて、県内外から来ております。
 昨秋、IBCLC(国際認定ラクテーションコンサルタント)という「母乳育児支援に関する専門家」の国際資格を取得しました。科学的根拠に基づいた母乳支援のための情報を提供していきたいと思っています。
病児保育はゆっくりと利用者が増え、特に共働き家庭にニーズがあると思われます。
保育園は子どもたちの笑顔や楽しそうな声が響き渡っています。昨春に保育園の増築工事が終わり、希望者に応える体制が整備されつつあります。
今後も皆さんのご指導・ご支援を賜りながら地域貢献を続けていきたいと考えております。
本年も変わらずによろしくお願いいたします。

平成24年1月
院長 宮本直彦

はじめに

3月11日に起きた東日本大震災。
現地では多くの方々や子ども達が辛い経験をしているだろうと思うと、とても胸が痛くなりました。
保育士という立場で私たちに何かできることはないかという思いから、宮本園長先生をはじめ、保育士4名・栄養士1名・保育士の家族(中学生1名・大学生1名)で岩手県下閉伊郡山田町に保育ボランティアに行かせていただきました。

山田町

自然豊かな山田町は、山田湾、船越湾などの天然の良港に恵まれた漁業の町です。
サケ・カキ・ホタテの漁業が盛んに行われているところです。
震災後、小中学校のグラウンドは自衛隊の基地になっていました。
震災後の町の景色は、日常が流された跡がはっきりと残されたままでした。
それぞれの生活、家族、海のもの、山のものも流した津波の勢いがどれほどのものだったのか、想像以上でした。

5月3日(火) 1日目 山田高校 避難所

山梨県から、サッカーボール、絵本、折り紙などを持参し、子ども達と一緒に遊びました。
笑顔で遊びながらも、私達に体をくっつけておんぶや抱っこをして欲しいと言ったり、甘える姿も見られました。
時々、地震や津波の出来事を話す子どももいました。
「地震以来久しぶりに体を動かしたよ!!」と言った子どもの一言がとても印象的でした。

※げんき夢保育園の子どもと職員で“こいのぼり”を作って贈りました。
 山田高校の避難所の入口に飾らせていただきました。

1日目の午後からは避難所となっている織笠保育園で、こいのぼり制作や外遊び、絵本の読み聞かせをしました。
子ども達は目を輝かせて活動し、その姿を見守る大人も皆穏やかに笑っていました。
保育室の出席簿は3月11日の日付のまま止まっていました。

私達、ボランティアはこの織笠保育園で寝泊まりさせていただきました。
避難所のリーダー役はこの保育園の園長先生(川端京子先生)。
保育園は高台にあり、園庭から下を見下ろすと津波で流された街の景色が一面に広がり、被害の大きさが一目瞭然でした。
避難所に暮らしている地元の漁師さんが、津波の時の話を私たちに教えて下さいました。

『津波の避難警告が鳴り、外へ出ると遠くで海が一度引けるのを確認した。
その後、住宅に向かって水柱が立った。
 山より高い水柱がどーんと立って、同じような大きな波が30分ごとに住宅地へ押し寄せた。
 水といっても透明ではなく、大きな黒いかたまりだった。』

5月4日(水) 2日目

  • 1日目に行った山田高校の避難所に再び行かせていただくことになり、「また来るね」と言った子ども達との約束を守ることが出来、2度目のサッカーをしました。
    子ども達と私達大人が混合で2つのチームに分かれて本気のサッカーを楽しみ、一緒に汗を流しました。
    試合が終わるとある女の子が「また会えるといいね。その時はサッカーがもっと上手くなってから会いたいな」と言ってくれました。
  • 山田町八幡町にある御蔵山(山田町立図書館跡地)で復興を願う祭りが開催されるというお話を地元の方から教えていただき、私たちは飛び入り参加で入口の一角のスペースをいただき、こいのぼりの制作コーナーをすることになりました。
    手型など、子どもの思い出の品が流されてしまった方も多く、「今日のこの手形を大事にしようね」と小さなお子さんに優しく話掛けるお母さんの姿もありました。
    短時間でしたが、たくさんの方と触れ合いました。
  • 織笠保育園に戻ると保育園にあるピアノを使って皆んで一緒に歌を歌いました。
    ホールには子ども達や避難されている大勢の方が集まりました。
    ♪むすんでひらいて ♪ふるさと ♪さんぽ ♪我は海の子 など...
    また、♪幸せなら手をたたこう♪では一人一人が鈴、カスタネット、タンバリン、マラカスなど楽器を演奏して盛り上がりました。
    その後は、村松先生の手作りの“あやとり”で一緒に遊んだり話をして交流を深めました。
  • あやとりの話から、船を結ぶロープの話になり、漁師さん達からたくさんの海の話を教えていただきました。
    津波の被害にあっても、海が好き、海は私達の生活の場とおっしゃっていました。

『津波で家や家族や大切なものをたくさん失ったけれど、得たものもある。
 それは人々の優しさとあたたかさ。
 色々な地域の方がこの町のことを心配してくれている。
 人間の優しさを感じているところです。
 地震がこなければ気が付かなかった。』

そうお話をして下さった男性は真剣な表情の中にも優しい笑顔を見せてくれました。

5月5日(木) 3日目

  • お世話になった織笠保育園を去る朝が来ました。
    避難所では7時から毎朝ラジオ体操をしています。
    この日は6時50分頃からある音楽が大きな音で流れ始めました。

♪気付かないうちに助けられてきた 何度も何度も
そしてこれからも 数えきれないやさしさに出会ってきた
懐かしい笑顔が浮かんでは消えていく
誰もがいつも君をみている
今日もどこかで 君のことを思っている
めぐり合って そして愛し合って 許しあって
ぼくらはつながっていくんだ♪

川端先生は「この高台から音楽をかければきっと街中に聞こえると思うから」とおっしゃっていました。

おわりに

数日間の保育ボランティアを経験し、まず感じたことは現地の方々はとても大変な思いをされている中でも、明るさと笑顔と前向きな気持ちを忘れていいないということ。
そしてボランティアの私たちにもとても親切にして下さったように、いつでも自分以外の誰かの気持ちを思いやる、強くて優しい心を持っているということです。
私達も保育士としてより一層子どもの心に寄り添う保育を心がけようと思います。
山梨に帰ってからも、心の中には山田町の皆さんが共にいます。
日本中の子ども達が笑顔で過ごせるようになるまで3月11日の大震災のことを忘れずに自分達に出来る支援を続けていくことが大切だと思いました。

『ふんばろう東日本』という支援プロジェクトを通して山田町にある道の駅やまだに心を込めて応援幕を送りました。
また、ボランティアでお世話になった織笠保育園では今年の7月9日に行われる夏まつり名を“おりかさ げんき 夏祭り”にして下さるそうです。
ボランティアをきっかけで交流ができ、嬉しいです。
この絆を大切にしたいと思います。

ページトップ